六烈士慰霊祭 百二十六年祭

祭主である郷土史家野村昭子先生をはじめとし、ご遺族の方々やその他多数のご列席をいただき慰霊祭を行っておりますが、本年は、四宮政治文化研究所代表四宮正貴先生、六烈士の一人である島根県士族浅井寿篤のご遺族の方をお招きし、泉野櫻木神社にて百二十六年祭を盛大に執り行わさせて頂きました。


126年祭
慰霊祭にて斬奸状を朗読する
憂国育衛社安田行動隊長

126年祭
慰霊祭にて詩吟を朗詠する
皇方朋友社網渕行動隊長

 
126年祭
慰霊祭にて

126年祭
直会にて野村先生と歓談される四宮先生
 
126年祭
来賓としてご列席いただいた四宮先生

126年祭
直会にて(中央 浅井家ご遺族)
126年祭
直会にて皇方朋友社竹内代表挨拶
126年祭
直会にて大東亜清輝会北会長(右)
 
126年祭
慰霊祭実行委員の面々
(右 高柳実行委員長)



     島田一良ら六烈士慰霊祭を終えて

                                        島田一良ら六烈士慰霊祭実行委員長   高柳陽一

さる5月16日、島田一良ら六烈士百二十六年祭を滞りなく御奉仕出来たことを大変喜ばしく御報告申し上げたゐ。
本年は僕たちが当祭を復活させて十年目を迎へ、あらためて意義のあるみまつりを奉仕できたと思ふ。
それは有志道友によって老功化進む慰霊碑の整備に着手出来たこと、そして六烈士の一人である浅井寿篤烈士のご遺族の参列を得ての祭祀を奉仕出来たことである。
このことはただ普通にやっていてかなふことではなく、ただ一心にこの十年、みまつりを奉仕し続けたことによる六烈士の神縁のたまものであらふ。
大久保利通は明治近代国家建設の為、ある一面に於ゐては貢献したかもしれなゐが、その手法につゐては国の行末を大ゐに誤り、大久保が推進する西洋覇道主義は決して日本に相容れるものではなかった。島田一良ら六烈士は西郷党の残党とはいへどもその節を守り、あくまでも東洋王道の道を歩まむとしたところに第二維新先がけの片鱗をみるのである。
その精神は伏流水のごとく平成の時代にまで脈々とながれ、僕たちの運動に継承されてゐる。
僕たちは節目あるこの年に更なる祈りを込めて島田一良ら六烈士の遺勲を顕彰しつつ、このみまつりの灯を永久にたやさぬことを誓ふものである。



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